あめのおと
雨の音が好きだ。
傘にぱらぱらと落ちる音も、風にざあざあ流される音も、窓ガラスにぱたぱた散る音も。
つい聞き入って、両目から焦点をなくしてしまう。ぼんやり、と陶然の間にいるような気持ちになる。
さりとて、雨そのものが好きかというと必ずしもそういうわけではなく、冬の雨は冷たくて寒くてつらいし、夏の雨はむわりと湿度を伴ってべたべたと不快だ。あたたかくて肌に優しい春の雨は、わざと濡れて歩きたくなる日がある程度には、好きだけれど。
ぱらぱら、ざあざあ、ぱたぱた。
オノマトペが豊かであるといわれる日本語において、雨に関する擬音はことさら豊穣であるように思われる。
時雨、梅雨、春雨。
擬音以外にも、雨をあらわす言葉は数知れず、雨が生み出す多様な光景を見事なまでに言い換えてみせる。
けれども、それらをただ漫然とつかうだけでは、私の好きな雨の音、雨の光景を伝えられない気がする。雨を表現する言葉は、もう出尽くしているのだから。
それでもなお、私は私の言葉で、私の好きな雨を表現したい。
私が「書く」理由のひとつは、それだと思う。
すでに使い尽くされた言葉、書き尽くされた題材。それでも「自分はこう思う」「私の世界はこうだ」ということを自分の手で自分の前に表明したいのだ。
今、どうどうと地を打っていた雨が上がり、外が急に静かになった。
この静けさを吸いこんで、私は自分だけの雨の音を、自分の文章で奏でる決意をする。